ホテルの部屋に戻ったMacoqueは愕然とした。ない。ない。あろうことにも、カメラのバッテリーを忘れて来た。
今集中的に調査しているのは、ラジオで放送されたオルガン音楽の問題である。20世紀前半の英米では、「シネマオルガン」というタイプの楽器による演奏プログラムが人気を博していた。その名の通り無声映画の伴奏に特化したオルガンで、例えば大小太鼓やシンバル等のパーカッション、木琴やピアノ、はたまたベルやサイレンや鞭、ガラスの割れる音を再現するための大きな鎖だとか、とにかく伝統的ないわゆる「教会オルガン」にはない様々な演奏機構を備え、ありとあらゆるタイプの音楽を演奏できるように改良が続けられた楽器である。当時の映画館では、今日のテレビのように、多種多様のプログラムが続けざまに放映されていた。短編映画―コメディ短編―ニュース―風景映像―ドキュメント短編、といった具合である。お金のある映画館はしばしばオーケストラを雇ったが、「ワンマンオーケストラ」ならばより経済的、ということで、シネマオルガンは無声映画時代を席巻したのである。
シネマオルガンの人気は映画館に留まらずラジオ番組に飛び火した。1923年のラジオ放送開始より、多階層の「文化的教養」を高めるべく番組編成をしていたBBCとしては、当初教会オルガンによるシリアスな音楽プログラムを用意していたのだが、これがさっぱりかんこん、より娯楽色の強かった大陸のラジオ番組に多数のリスナーをもってかれてしまった。そこでシネマオルガンによる「ライト・ミュージック」プログラムを設けたところ、これが常に人気ランキングの上位3以内に入るほどの人気を博す。シネマオルガンの何が聴衆を引きつけたか、という問題にはその時代特有のからくりがあって、そこが多分Macoque的論文の大きなミソの一つなのだが、そこは博論が出たら皆さん読んでちょ。とにかく、それまでとは比べ物にならないほどのスピードで、聴衆が自らの嗜好によって特定の音楽文化の淘汰や形成をリードする音楽の大量消費時代が始まっていたわけで、シネマオルガンは、そんな現代の大きな音楽文化的局面の申し子だったのである。この状況は1940年代の初め頃まで続く。
BBCのアーカイブには、BBC内部で回覧されたメモやオルガニスト・各種機関との連絡書簡などが大量に保存されている。どのようにオルガニストが選定され、プログラムが決定されたか、そこにどんな力関係がはたらいていたか、オルガニストの雇用状況はどのようなものだったか、今まで分からなかったことが少しずつ資料から浮かび上がって来た。クエンティン・マクリーン、レジナルド・フォート、シドニー・トーチ、サンディ・マクファーソン…録音や著作でしか知らない往年のシネマオルガニストたちが80年ほど前に書いた手紙や契約書のサインを指でなぞりつつ、ここに80年前レジーの指がーふおぉぉぉとか思いながら、カートに山積みの資料をパシャリパシャリとやって400枚撮った一日目。前日にフル充電したカメラは、あっという間に電池切れになった。
で、驚愕の充電器忘れである。これがないと残り2日の滞在中、ひたすらここにレジーの指がーふおぉぉぉだけやって過ごすことになる…やばい…
レディングからおらが吊り橋町へは往復約3時間。終電は12時過ぎまであり、朝一の電車は5時代からある。帰れないことはない。あとは約6000円の余計な交通費と3時間の労苦を惜しむかどうか。うーむ貧乏&レイジー学生Macoqueにはどっちもちときつい。
他に手はないか。調べるとレディングの駅周辺にいくつか電器屋がありそうだ。最悪レディングでデジカメ買うか。
と、カメラの電池パックの横にアダプターの装着穴があることに気が付いた。そうだアダプター!当該メーカーのホームページからカメラの取説をダウンロードして(便利な世の中)、専用アダプターの製品番号をメモる。朝一番で電器屋へ突撃し、アダプターをゲットできる可能性にかけることにした。
あくる日、電器屋リストとアダプター製品番号のメモを握りしめ、レディングのシティセンターへ向かう。開店を待って、一番大きな電器屋へいざ出陣
カウンターで、中年のオヤジが、段ボールから製品を取りだす作業をしながらこちらには目もくれずハイとだけ言った。ひるまず製品番号メモを突き出しこれないですかと尋ねる。オヤジ、一瞥し「ああ、これはうちにはないよ。というか、このカメラものすごく古いタイプだから、多分このアダプターどこの店でももう扱ってない、多分見つからないよ」とつぶやく。そうですか、とにかくありがとう、といって店を出る。なに、こちとらこんな展開は予想済みである。だから5件も店をリストアップしてあるのだ。次を攻めるのみ。
さて、今度は駅近くの小さな専門店。いかにもな町のカメラ屋さんで、狭い店内にカメラや周辺機器が所せましと並べられている。古いカメラの用品ならこういうところのほうが可能性があるやもしれぬ、と淡い期待を抱きつついざドアを開ける。
満面の笑みで「おはようございます」と呼びかけるその人がいた。推定30代半ば、黒に近いブルネットの髪、身長180センチくらい、ちょっとイーサン・ホークっぽいシャープな雰囲気、それでいて営業スマイルON、黒いセーターに細身の灰色スラックス、そして青い目はしっかりとこのわたくしをとらえている――こ、これは夢にまでみたいかにもなエゲレスの紳士的お兄さんではあるまいか!能う限り最も上品な発音で「この商品を探しているのです」と言ってアダプター製品番号メモを差し出す。「これはうちには置いていないなぁ、このカメラはもうかなり古いから、アダプターはオンラインで注文するしかないかなぁ」ああここもダメか…と思ったとき、お兄さんは続けた。
「ちょっと待って、新しいタイプなんだけど、これに近いものがあるから、出してみよう。カメラは持ってきてるの?オーケー、多分大丈夫じゃないかと思うから試してみようか」
と言ってお兄さんはアダプターを持って来ると、おもむろにカッターでパックを開け、カメラにつないで電源を入れた。
電源入った
!
狭い店内で「ブリリアント!」「ラブリー!」連呼、拍手喝さいのMacoqueとお兄さん。この瞬間世界で最も幸せなカンジの小さなカメラ屋であったであろう。
Macoque(
)「本当に助かりました、アーカイブでいっぱい写真を撮るために来たのに充電器を忘れてしまって困っていたの」
お兄さん(
)「たくさん、どのくらい撮るの?」
「一日に300とか400とか」
「ワーオ、すごいねぇ!ここで電圧の調節できるけど、念のために低く設定しておくからね、かなり長時間撮り続けても問題ないはずだよ」
―こういう具合に、調子に乗ってウカレしゃべくるMacoqueに誠実なリアクションで応えつつ、説明もしっかりしてくれるところまで、大手電器屋のぶっきらぼうオヤジの後だけに、久しぶりにイギリスで真のサービス精神にふれた気がしたのである。
それでは、本当にありがとう、とお礼を言って店を出る。
いい一日を!の声を背中に聞きながら、心のうちいっぱいに叫んだのだった。
お兄さん好きだーーーーー!
好きだーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!
大好きだあああああぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
!!!!!